吉永一貴の経歴が気になる!?年齢や学歴や母親などを調査!

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アイスリンクの上をまるで弾丸のように駆け抜ける競技「スピードスケート」

その中でも、ショートトラックで期待の新人として今注目を集めている『吉永一貴』選手にスポットライトを当ててみました。

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吉永選手のプロフィール

中学生ながらに日本記録ホルダーという、将来が楽しみで仕方ない吉永選手ですの基本的なプロフィールがこちらです。

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生年月日 1999年7月31日
出身地 愛知県
身長 171cm
体重 59kg
在学校 名古屋経済大学市邨高校

3000mで日本記録を樹立した時はまだ中学生だったという吉永選手。本来は、1500mを得意とし、先行逃げ切りのスタミナ勝負で数々の優勝をつかんできました。

吉永選手の強みはその持久力だけでなく、コーナーでもスピードが落ちないという点も特筆すべきポイントですね。減速がないということで、逃げ切りはもちろん、追い上げにも強いという、まさに死角のない走りが魅力です。

2014年の10月に行われた全日本距離別選手権1500mで優勝するも、年齢制限の為ワールドカップに出場できなかったという悔しい経験が。しかし今回の平昌五輪の時には18歳になっているため、活躍が大変期待されています。

実はサラブレッド!?

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コーチに恵まれたということもありますが、吉永選手が早いうちからその才能を開花させたのには理由があります。それは、母親の存在です。

なんと彼の母である吉永美佳(旧姓加藤)さんは、世界選手権を連覇したこともなるスピードスケートの実力者。当初は同じ道を歩むことに懸念もあったようですが、どんどんのめりこんでいく彼の姿をみて、全面的にバックアップしようと決意したとか。

それからは、母親というよりも鬼コーチに。その鬼コーチ振りがわかるエピソードに

「リンクで怪我をしたとき、顔が切れたと判って安心した。足だったら練習ができなくなるところだった

というものがあります。母親なら顔に傷が付くことを心配するのに、コーチとしての立場で選手育成に集中しているから出た言葉だと思います。また、そんな母の思いを息子の吉永選手もきちんと受け止めて、『誰よりも早い選手になる』と決意を新たにしたといいます。

強さのDNAは母親からだけではありません。なんと、叔母さんも元スピードスケート選手でした。

叔母の美善さんは、1980年レークプラシッド五輪のスピードスケート代表、第一回世界ショートトラックスピードスケート選手権で総合優勝という、こちらも輝かしい実績の持ち主です。

世界選手2人の才能を受け継いでいる吉永選手。ますます今後の活躍に注目ですね。

リンクを出れば・・

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アスリートというと『一日中競技付け』というイメージですが、吉永選手はまだ学生です。競技だけの生活ではなく、もちろん学校生活も大切です。

リンクの外での彼の様子は、世界の注目を集めている選手とはとても思えないほど。友達とサッカーをするのが好きで、漫画を読んだり音楽を聴いたりといった、同年代と同じ様な興味ももっています。

友達と一緒の『吉永君』と、スピードスケーターの『吉永選手』という2つの生活を自分らしく思いっきり満喫している吉永選手。

母親が全盛期の時には種目になかったからこそ、彼は次のオリンピックでメダルと取りたいといっています。

そんな優しさも持ち合わせた吉永一貴選手に大注目ですね。

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