多田克彦のプロフィール!出身や学歴は?すごいエピソードなど!

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ベンチャー企業というと、最近では珍しくもないことですね。

そんな日本のベンチャーの先駆けとも言う「反骨の酪農家」こと多田克彦さんをご存知ですか?

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反骨の酪農家とは?

日本ベンチャーの先駆け企業とは、どんな会社なのでしょうか。

会社名   有限会社 多田自然農場
生産者   多田 克彦
生年月日  1955年
出身    岩手県

多田社長は、地元遠野市の農業高校を卒業後、一旦は遠野市役所に就職します。しかし職場の雰囲気が合わずたった1日で退職してしまいます。その後一浪して東京の明治大学に無事合格します。大学卒業後の就職先もありましたが、やはり地元が気になり遠野市役所に再度就職します。

「市役所に務めるのは10年。その間に農業を本格的に勉強して、新しい時代の農業で食べていこう」

そう覚悟を決めての就職でした。朝は実家の土地を耕し畑を作り、定時後も畑に戻るという生活。ボーナスは牛を買うためにつぎ込み、肥育も始めました。

10年後、サラリーマンを辞め農業に専念すると数々の困難が降りかかります。

牛肉の輸入自由化による価格の暴落外国人労働者の不法滞在問題、生乳の生産調整に歯向かったことによる農協からの脱退。他にも数え上げたらキリがないほどです。借金で首が回らなくなり自殺を考えたことも一度や二度ではないそうです。

では、多田社長の転機はどこにあったのでしょうか。

実は今でこそ「低温殺菌」による牛乳が一般的になりましたが、当時は「高温殺菌」が主流でした。低温殺菌された牛乳の特徴はさらりとしたのどごしにあるんですが、それが「水を混ぜている」といった誤解を招きなかなか受け入れてもらえませんでした。

そこで多田社長は、販売店を地元にこだわることをやめ首都圏へと出向きます。

朝の作業を終えると作業着のまま新幹線に飛び乗り、首都圏の百貨店へ飛び込みの営業をかけます。当然身元の怪しい営業からの話は取り合ってももらえませんでしたが、ある百貨店の担当が同郷ということもあり店頭においてもらえることになりました。

地元で拒絶された多田社長の商品が、今では地元遠野の道の駅の人気商品になったにはちょっとしたエピソードが。

道の駅開設に当たり、市役所の食品は出店する店舗の選定を行っていました。その時、多田社長の元同僚から声がかかったそうです。

「地元にあまりいい印象がないかもしれないが、遠野で作った商品が遠く離れた東京で一流百貨店に並んでいることを遠野の人間は誰も知らない。ぜひ、遠野を豊かにするため直営コーナーを作るから商品をおいてもらえないか」

道の駅にコーナーを設けたことで、地元の人達にも少しづつ認知されていきました。そしてとうとう、あらぬ噂で地元に受け入れてもらえなかった商品たちが、地元住民の生活を支えるスーパーにまで並ぶようになったのです。

遠く東京から、やっと念願だった地元に戻ってこれたきっかけが道の駅での直売だったんですね。

多田自然農場のおすすめ商品

チーズや野菜なども販売している多田自然農場ですが、やはり人気なのは乳製品のようです。

『生乳まるごと 食べるヨーグルト』

牛乳・乳酸菌・糖(三温糖)のみの原材料で作った、少し黄色みのあるヨーグルトです。とろっとした舌触りが癖になるとリピーター続出。

『ナチュラルプリン』

保存料や着色料など一切不使用、天然の卵の黄色さがとても新鮮なプリン。甘さもちょうどよく、さっぱりとした味わいが後を引く美味しさ。

ニューヨークでは、多田自然農場の牛乳を使ったアイスクリーム店が人気だという話もあります。

楕円のかわいい黄色のラベルが目印です。

お店で見かけたときは、ぜひ手にとってみてください。

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