お笑い芸人の名倉さんや河本さんがゲストに聞きにくいけどみんなが気になることをズバッと聞く番組『じっくり聞いタロウ』
2020年3月に当番組に出演した、元19の岩瀬敬吾さんが明かした解散理由や現在をまとめてみました。
スポンサードリンク
19(ジューク)って?
岩瀬さんがいた19(ジューク)について簡単に見ていきましょう。
1998年から2002年まで活動していた男性2人のデュオ。他に326(みつる)が、ビジュアルプロデューサーとして参加をしていた。
「あの紙ヒコーキ くもり空わって」は最大のヒットソングとなり、紅白歌合戦にも出場したが、2002年3月突然の解散を発表した。
そんな人気絶頂期に解散した19の二人のプロフィールがこちら。
岡平 健治(おかひら けんじ)
1979年3月28日長崎県長崎市出身広島県呉市育ち
高校時代から呉の駅前でライブを行い、1996年の高校3年生のときに岩瀬敬吾と知り合い「少年フレンド」というバンドを結成。1998年に自分の描いた詩に曲を描いてくれるミュージシャンを探していた326と出会い「19」を結成。
岩瀬 敬吾(いわせ けいご)
1978年8月29日広島県出身
高校3年生のときティーンズミュージックフェスティバルで岡平と出会い「少年フレンド」を結成し、のちに326と出会い「19」として活動する。武道館2daysライブのチケットは販売開始5分で完売するなどの社会現象を起こすほどの人気ぶりだったが、その絶頂期の2002年に突然の解散を宣言。
街中でその曲が流れない日はないというほどのセールスを売り上げていた中での解散には、多くの憶測が飛び交いました。
19と326の今
番組に出演していた岩瀬さんは、現在ソロシンガーとして活動をされています。
2004年には、真心ブラザーズのカバーアルバムにその他のアーティストともにギタリストとして参加されるなどの活動もされていました。
解散から十数年は岡平さんとは連絡をとっていなかったそうですが、最近になって連絡を取り合うようになったそうです。
一方の岡平さんは、19在籍中に結成したバンド「3B LAB.☆」で解散後は本格的に活動を開始し、現在は会社経営・自社ビル設立・バー・ライブハウス営業など、様々な業種で経営活動をされています。
2013年には、TBSの『有吉ジャポン』で元19メンバーである326から取材を受けていました。
その326さんはというと、19解散後フリーのイラストレーターになるもオリジナルグッズによる借金がかさみ、その話を『有吉ジャポン』でしたところ太田光代の目に止まり、現在は「タイタン」の所属アーティストになっています。
一斉を風靡した彼らの現在はそれぞれですが、形は違えど音楽や芸能の世界にずっと携わってこられたというのが、ファンにとっては嬉しい限りではないでしょうか。
スポンサードリンク
この記事へのコメントはありません。