1971年公開の『ベニスに死す』に出演して世界一美しい少年と呼ばれ、日本でも熱狂的なファンが来日のたびに大騒ぎをしたあの少年を覚えていらっしゃいますでしょうか。
ギリシア彫刻のような整った顔は一度見たら忘れられない「ビョルン・アンドレセン」の現在を調べてみました。
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プロフィール
本名 ビョルン・ヨーハン・アンドルセン(Björn Johan Andrésen)
生年月日 1955年1月26日
出身 スウェーデン ストックホルム
哀愁漂う美少年には、悲しい出生からの物語がありました。
実の父親は不明、母親は生後間もないビョルンを両親に預けノルウェー人と結婚するも4年で破局。その後も子供を置いてたびたび疾走を繰り返していました。
ビョルンが10歳の時にまたも母親は疾走し、6か月後にその姿を現した時には自殺した状態でした。
幼少期の話に両親の話題は全く出てこない代わりに、親代わりとして育ててくれた祖母の話題が多いのも納得です。
しかしこの祖母もなかなかの曲者で、自身の美容師としての稼ぎでは生活が苦しかったこともあり、ビョルンの美貌に目をつけ子役として稼ごうとたくらみます。
初めて出演した作品は1970年の『純愛日記』でのわき役でした。
その後『ベニスに死す』でのキーパーソンでもあるタジオ役を探してヴィスコンティ監督がヨーロッパ中の金髪碧眼のティーンネージャーを探しているという話を聞き、そのオーディションを受けるよう勧めたのも祖母でした。
そのオーディションの様子は記録されているんですが、ある種異様な光景でした。
この映画が公開されると世界中でビョルンブームが巻き起こり、日本では来日するとファンに髪の毛を切られたりという、熱狂的なファンが世界中に広がりました。
その後もその美貌を生かした作品にいくつか出演しますが、もともと音楽に興味があり友人たちとバンドを組んでいたこともあり、映像界から距離を取り普段の生活を取り戻そうとします。
ところがあまりに有名になりすぎ、映像のイメージと現実を混同され好機の目にさらされることに耐え切れなくなりストックホルムを離れます。
死亡説も流れる中、1977年にデンマークの作品に主演し復活を果たします。
現在のビョルン
1983年に結婚し、第一子を病気で亡くして一度は離れたものの復縁し、現在は一人娘と二人の孫に囲まれて幸せにくれしているビョルン。
美少年のイメージが強すぎて、この家族写真にはちょっと違和感を感じてしまいます。
そんな現在のビョルンは音楽教師をしながら俳優業も続けていました。
2019年、そのショッキングな内容からも注目された『ミッドナイトサマー』では、白髪に白髭の老人として出演されています。
2021年には自身のドキュメンタリー映画を発表し、ヴィスコンテイ監督や祖母のほかに、自身を性的搾取してきた大人たちを告発しています。
壮絶な人生を生きながら、今は妻や娘や孫たちに囲まれ愛にあふれた時間を穏やかに送っているビョルンが今後も幸せであることを願います。
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