『キネマの神様』や『総理の夫』などの人気映画の原作者「原田マハ」さん。
実は、小説家として活躍する前は全く違う職業でした。
そんな異色の経歴を持つ原田さんについて調べてみました。
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元「キュレーター」
本名 非公開
ペンネーム 原田 マハ
生年月日 1962年7月14日
出身 東京都小平市(岡山県岡山市育ち)
学歴 関西学院大学卒 早稲田大学第二文学部美術専修卒
まず大学卒業に二つの学校がありますが、関西学院を1984年に卒業した後、1994年に早稲田へ入学されます。
その間が驚きの人生で、まずアルバイトで生活をしていた原田さんは、1988年飛び込みで馬里邑美術館に就職を訴え採用されます。
1990年に結婚を機に美術館を退職。
アートマネジメント学校のディレクターになりますが給料が安いとやめてしまい、突撃プレゼンを行いその度胸を買われて伊藤忠商事に就職します。
1994年に早稲田を受験し合格。
そもそもドイツ文学専攻でしたがドイツ語が難しすぎると日本文学に転科されたことがあるんですが、美術館と大企業へ飛び込みで就活するなんて、バイタリティ溢れる女性ですよね。
伊藤忠の後は森ビル社長直々のお誘いで森ビルへ転職し、森社長の通訳を務めながら早稲田を卒業して学芸員の資格を得ました。
ニューヨーク近代美術館のキュレーターを務めた後、キュレーターとして独立します。
ここまでは、キュレーターとしての原田さんの人生です。
2004年、取材で訪れた沖縄で一匹の犬とその飼い主に出会います。
犬の名前は『カフー』由来を聞くと、沖縄の言葉で「幸せ」という意味だと教わり、その瞬間何かだ猛烈な勢いで降りてきて、帰りのタクシーの中で小説のプロットが出来上がったとのこと。
こうして書き上げたのがデビュー作『カフーを待ちわびて』なんです。
インスピレーションで人生を切り開いてきたといっても過言ではない原田さんのご主人は、以前は音楽関係の仕事をされていましたが、今は原田さんのマネージャーのようなことをされているんだとか。
たしかに原田さんのような直感型?には、冷静にサポートしてくれる人が必要ですね。
ちなみに原田さんは、幼少期は絵を描くことと文章を書くことどちらも好きだったそうで、今まさに好きなことを思いっきりやっている状態なんですね。
『キネマの神様』は、父親と初めて観に行った映画が寅さんで、そのお父さんをモデルに書いたのが『キネマの神様』で、それを映画化したときの監督が山田洋二監督なんて、なんて素敵なめぐりあわせなんでしょう。
成功者は引き寄せる力を持っていると聞いたことがありますが、原田さんの場合引き寄せるなんてかわいいものではなく手繰り寄せるくらいの力強さを感じます。
ここでご紹介した作品は、どれも素晴らしいものばかりです。
映画やドラマで見たものを小説として読み返してみるのも、小説の世界がどのように映像化されたのかを見てみるのも面白いです。
ぜひ一度、原田さんの作品を手に取ってみてください。
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