八村塁選手のNBAドラフトが一大ニュースとなっています。
日本人初のドラフト指名からのNBA選手というだけあって、話題に上がるのは当然のことと言えます。
しかし、八村選手のはるか前に、幻のNBA選手とよばれるバスケットボール選手がいることをご存知でしょうか。
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幻のNBA選手とは
NBAのドラフトで指名されてチームでプレーすることが、どれほどに価値のあることかと言うのは今回のことで知られたことと思います。
しかし日本人で、NBAのドラフトを断った伝説のプレーヤーがいたんです。
氏名 岡山 恭崇(おかやま やすたか)
生年月日 1954年11月29日
出身 熊本県
身長 230cm
ポジション センター
中学高校時代は柔道の選手だったという岡山さん。
大阪商業大学進学の際、バスケットボール部の監督の人柄を気に入りバスケットボールへ転向します。
1979年、住友金属工業に就職し籠球団に所属すると、リバウンド王と新人賞を同時受賞という目覚ましい功績を残します。
岡山産は身長230cmという、当時ではもちろん、現在でも存命の方の中で最高身長の記録保持者でもあります。
そんな活躍が認められたのか、1981年のNBAドラフトでは、8巡目の10番目にゴールデンステート・ウォリアースから指名を受けます。
しかし岡山さんは、その氏名を断ってしまうのです。
理由は
・在籍する住友金属が、主力選手である岡山さんの移籍に難色をしめしたから
・オリンピックに日本代表選手として出場したかったから
と言われています。
この当時はNBA選手がオリンピックに出場することは禁止されていたので、ドラフトを受けてしまうと、自動的にその出場権を失うことになってしまうわけですね。
岡山さんとしてもかなり辛い決断だったと思います。
一度目のチャンスも手に入れられなかった
岡山さんですが、NBAドラフト指名を受ける前、アメリカの大学で活躍できるチャンスを棒に振ったことがありました。
大学でバスケットボールを始め、アメリカのポートランド大に1年間バスケットボール留学をしました。
本場でのプレイヤーの扱いや待遇の違いを目の当たりにしながらの1年間が終わろうとした頃、「1軍登録するからもう一年プレーしないか」とオファーがあったそうです。
しかしこのときに「先端巨大症」と診断されドクターストップがかかります。
治療のためもう一年アメリカに残りましたが、当然プレーは満足にできずせっかくのチャンスを棒に振る結果となったわけです。
そこで降って湧いた「NBAドラフト」ですからね。でも、オリンピック出場という夢が勝った結果が辞退となったわけですね。
今回の八村選手のニュースを見て、エールを送っています。
「自分を存分に出してほしい。揉まれて経験を積んで、レベルアップしてほしい」
幻に終わってしまいましたが、八村選手よりも30年以上まえにNBAドラフトで指名を受けた日本人選手がいました。
ぜひ八村選手には、このビッグチャンスをしっかりと自分のものにして、日本のバスケットボール界をリードしていってほしいですね。
そんな八村選手の記事は「八村塁のプロフィール!英語は話せるの?小学校中学や両親や兄弟姉妹のことなど!」で詳しくご紹介しております。
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